HELIOS-44シリーズは有名なグルグルレンズですし、以前、MC HELIOS-44M-5を記事にしているので、いまさらなにをテーマにするんだ?と不思議に思う方もいるでしょうが、実はその際にふと目をひいた一文があるのです。

Casual Photophile
Carl Zeiss Jena Biotar 58mm f/2 – Lens Review

【機械翻訳】
第二次世界大戦後、Carl Zeiss Jenaの工場はソビエトの占領地域に落ち、戦争の賠償としてソビエトは工場の設備、図面、さらにはドイツの技術者さえも奪いました。ZeissのBiotarは、ソビエト連邦には存在しないドイツのショットガラスで動作するように製造されていたため、ソビエト光学の父として知られているD.S.Volosovによって、ソビエトで利用可能な光学ガラスに光学式を再計算する必要がありました。

レンズはモスクワ近郊のKMZ工場で製造され、長年にわたって数多くのバリエーションがありました。最初のHelios-44は、1958年のStart cameraに付属していました。

この下線部分です。

つまり、当時のソビエト連邦がBiotar 58mm F2をコピーするにあたって、ドイツのショット社製光学ガラスと同等のものがなかったので、現地の光学ガラス向けに再設計をおこなったと。

ソ連の光学ガラス―――冷戦時代に閉ざされていたとはいえども宇宙開発ではアメリカと先を争い、第二次世界大戦では光学兵器を自国生産していた国力を考えると、決してそのガラス品質がドイツに劣っていたとは思えません。しかし、ソ連製のカメラが質素で作りが悪いのはいまさら言うまでもなく、そのカメラに付属するレンズがCarl Zeiss並みの品質を保持していたのかは疑わしいところです。なにせ、鏡胴の銀メッキからして他ではなかなか見かけない劣化をしていますし。

そんなわけで、写真界隈における旧ソ連のイメージから、初代HELIOS-44はガラスの違いがかなり画質にあらわれていたのではなかろうか? あるいは、その予想とは裏腹に、のちの後継モデルより優れていたなんてこともありうるのかも? ……などという、どっちつかずの疑問をいつもの比較撮影で解き明かしてみたいと思います。

ようするに―――

ショットガラスと旧ソ連製ガラス、その品質に差はあるの?


初代HELIOS-44にはStart camera専用マウントとフランジバックの長いM39がありますが、さすがに前者をEマウントに変換するのは面倒なので、後者のM39をフランジバック調整して使うことにしました。選んだ個体は無難な8枚絞り、アンバーコーティングです。


【比較に使用した個体】
HELIOS-44/58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、1960年代前半)
Biotar 58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、1950年代前半の戦後中期型)


最初の画像がHELIOS-44、後の画像がBiotar 58mm F2(戦後中期型)ですべて共通。

すべて絞り開放 マニュアル撮影で設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル


風が強くて草が動いています。細部ではなく全体の写りを見てください。
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露出固定なので、これが素の写りです。日差しが変わったわけではありません。
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え? だいぶ違わないかい、これ。

と、いったん比較を止めるのは当サイトではよくあることですが、同スペックの58mm F2だからと露出固定で撮影したHELIOS-44は、かなり薄暗い写りなのです。

こういった場合によくあるのが、広範囲の周辺減光が画面全体の明るさに影響を与えている例ですが、それだけでなくHELIOS-44は強い青みとともに根本的なコントラスト不足も感じます。やはり、ソ連製の光学ガラスには癖がある!?と決めつけるまえに、もうすこししっかりと比較してみましょう。これより以降は、自動露出/RAW現像で明るさをそろえたものに切り替えます。



最初の画像がHELIOS-44、後の画像がBiotar 58mm F2(戦後中期型)ですべて共通。

注記なければ絞り開放 絞り優先AEで設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル

絞りF4
色味で印象が違いますが、それよりも凹凸の陰影が違うことがわかるでしょうか?
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近接域でボケが大きくなるとグルグルはでません。
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絞りF8
画角はあきらかに狭いです。感覚的には、51.6mmの標準レンズに対し52.0mm以上で設計をおこなうTessarやSUMMICRONという感じ。
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逆光性能の差。
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絞りF8
絞ってもやや軟調。15070


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グルグル感は若干少ないような……。
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内面反射で中央下部の緑に締まりがありません。
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絞りF5.6
歪曲は弱い糸巻、Biotarのほうが微妙に大きそうです。
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最端のボケにやわらかみ、全体的に軟調。
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Biotarは特別コントラストが高いレンズではないのですが……。
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絞りF2.8
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絞りF4
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まず前置きとして、これらの比較に使ったHELIOS-44、Biotarともにほとんどグルグルしていません。それもそのはず、一般論としてグルグルボケは頻繁には出ないものであり、その発生条件を意識しつつ一枚絵として構図をまとめるのは、かなり難しいからです。この点については過去の記事でまとめているのですが、核心的な話としては、非点収差による画質の荒れはいうほど目立たず、絞りこむという回避策もあるので、Biotarの設計では“非点収差補正の優先度が下げられている”と考えられます。

レンズ探求 #26 時空を超えるレンズ BiotarとMC HELIOS-44M

それでは、本題に移ります。
HELIOS-44シリーズの一番最初のモデルであるHELIOS-44の写りはどうだったでしょうか?

第二次世界大戦後に3種類が販売されたBiotarのなかで、もっとも無難と思われる戦後中期型と比較したところ、HELIOS-44は画角が狭く、青みが強く周辺減光が大きく、軟調で反射防止性能も低いという、はっきりと違った写りになっていました。特に、この軟調描写は環境光がおだやかであるほどにBiotarとの差が明確になることから(つまり、逆光になるとBiotarの内面反射が増えて同等に近づく)HELIOS-44がそなえる本質的な特性であるといえ、素直にMTFが低いという状態です。

そして、HELIOS-44で興味深いのは、画面最周辺部のボケの乱れが感じにくいことで、それは画角の狭さ=ボケ量に差があることが大きいのでしょうが、像面湾曲や非点収差も微妙に違って見え、収差補正に若干の変更が加えられていることをうかがわせます。解像力もわずかにHELIOS-44のほうが優れているようなのですが、この個体は左右の画質が不均等なので、こまかな部分については断言できないのが口惜しいところです。

その他、歪曲はHELIOS-44のほうが少なく、色収差はどちらも目立ちません。総合的に判断して、HELIOS-44はBiotarの戦後中期型と基本設計を同じとしながらも、かなりの違いが感じられ、ソ連製の光学ガラスの影響が如実にあらわれているといえるのかもしれません。

しかし、ここで気になるのは、Biotarにはさらに古いモデルがあることです。戦後になって最初に製造されたBiotarは17枚絞りを装備した豪華仕様なのですが、画質は年代を反映してやや劣り、クラシカルな味が増しているのです。はたして、これとHELIOS-44を比較したらどうなるのでしょうか?

さあ、追試です。



【比較に使用した個体】
HELIOS-44/58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、1960年代前半)
Biotar 58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、1940年代後半の戦後初期型


最初の画像がHELIOS-44、後の画像がBiotar 58mm F2(戦後初期型)ですべて共通。

注記なければ絞り開放 絞り優先AEで設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル


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反射防止性能はHELIOS-44のほうがわずかに優れるようですが、コントラスト性能はやはり劣るようです。
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絞りF4
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絞りF4
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HELIOS-44とBiotar 58mm F2(戦後初期型)の比較結果は特に変わらず、青みの強さ、軟調加減などはまったく同じでした。コーティング性能はようやくHELIOS-44が上回ったか?というところですが、HELIOS-44の発売年はBiotarの戦後初期型よりも10年くらい遅れているという……。

このように、HELIOS-44はBiotarの系譜にありながら、発色やコントラスト性能がかなり別物であることが判明しましたが、逆にここまで見た目の写りが違うと、これがすべてのHELIOS-44の写りかどうかが不安になってきます。なにせ、ロシアレンズは複数の工場で同一レンズを生産していたりする謎多きもの。

その最初期の13枚絞りのモデルが特別な写りでないと、実物を手にせずに言いきれるでしょうか?

そうです。HELIOS-44にも円形絞りが存在し、その前玉は濃いパープルコーティングなのです。反射防止コーティングは硝材の特性や設計意図によって変わることを考えると、HELIOS-44の初期型は写りが違ってもおかしくありません。



【比較に使用した個体】
HELIOS-44/58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、8枚絞り 1960年代前半)
HELIOS-44/58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、13枚絞り 1950年代後半の初期型


最初の画像がHELIOS-44(通常型)、後の画像がHELIOS-44(初期型)ですべて共通。

すべて絞り開放 マニュアル撮影で設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル


まずは露出固定の比較です。
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HELIOS-44(初期型)はHELIOS-44(通常型)よりも強い黄色味があり、やや明るく写るようです。
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最初の画像がHELIOS-44(通常型)、後の画像がHELIOS-44(初期型)ですべて共通。

注記なければ絞り開放 絞り優先AEで設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル


ここからは明るさをそろえています。15146


HELIOS-44(初期型)はだいぶ黄色いです。
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絞りF4
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こういった淡い雰囲気は性能の高いレンズでは得られません。
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絞りF5.6
Biotar系列は厳密には糸巻歪曲のようです。撮影していてまったく気づきませんが。
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絞りF8
遠景解像は画面周辺部でところどころに差が見えますが、互いに偏心があるようなので評価が難しいです。
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この絵は、夕日が建物の隙間を移動しているので比較になりません。15158


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なんと、HELIOS-44の初期型はそれ以降のモデルがもつ青みがなく、全体の写りはBiotarに近いものでした。

くわしく説明すると、HELIOS-44(初期型)はHELIOS-44(通常型)よりもやや画角が広く周辺減光が少なく、黄色くコントラストが高く、コーティング性能はあきらかに悪いものでした。いちおう確認のためにBioarとも比較しているのですが、どうやらこの個体も左右の画質差がそろわず偏心があるようで、等倍画質はまたも判定不能です。

確実にいえるのは、Biotarに似ているのが13枚絞りのHELIOS-44(初期型)ですがその画質はBiotarよりも下回る一面があり、そこから硝材ともども再設計がおこなわれて良くなったところもあるけど悪くなったところもあるのが8枚絞りのHELIOS-44(通常型)です。


今回、自分が入手したHELOS-44の画質を相関図にあらわすとこうなりますが、これは確定情報ではありません。たとえば、青みのある個性的なHELIOS-44は一時期だけという可能性も考えられます。

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※製造年代はこのように並列ではないことに注意。


まとめると、Biotar 58mm F2をソ連の光学ガラスで再設計したのがHELIOS-44の初期型で、このモデルでは13枚絞りを搭載しているなど、できるかぎりレンズの品質を落とさない努力があったことがうかがえます。全体的な写りはBiotarの戦後初期型とよく似ていますが、競争のない社会主義国家の民生品だからか、反射防止コーティングやコントラスト性能などは10年前のBiotarよりも劣ったものになっています。ある意味、戦後のBiotar系列のなかで一番クラシカルなのがHELOS-44(初期型)といえるのかもしれません。

そのあとの通常型―――と断定してしまっていいのかはわかりませんが、8枚絞りにスペックダウンしたあとのHELIOS-44は設計が変更されているようで、Biotarとはまったく逆の色味(正しくはニュートラルから若干の青寄り)で軟調描写となっています。さらに、画角がより狭くなっていることから全体の収差補正に余裕が出てグルグル感も減少しているように感じますが、良いところばかりではないこの写りの違いには、生産の合理化を進めながらできる範囲で改善を試みたメーカーの実情がにじみでているようです。

HELIOS-44(通常型)の撮影時の感触としては、どんな環境光でも目につくやわらかな階調描写が独特であり、このおとなしい写りもまたHELIOS-44(初期型)と同じように個性的といえます。


さて、これまでごくかんたんにソ連製の光学ガラスと書いていますが、実際にロシア帝国/ソビエト連邦で光学ガラス製造はどのように確立されていったのでしょうか? これをざっくりと年表にまとめてみました。(※情報の正確性は保証できません)

ПКП СПЕКТР - ИЗДЕЛИЯ ИЗ КВАРЦЕВОГО СТЕКЛА
История производства оптического стекла в России
https://pkp-spectr.ru/page/istoriya-proizvodstva-opticheskogo-stekla-v-rossii

光学ガラスの製造技術はもっとも複雑なもののひとつです。その原因は、光学ガラスの品質、透明度、純度に対する要求が非常に高いことにあります。

~ 中略 ~

20世紀初頭、当時としては最高の特性を持つ光学ガラスを生成できたのは、世界で3つの工場だけでした。それは、Otto Schott(ドイツ)、Parra-Mantois(フランス)、Chance Brothers(イギリス)であり、その製造技術とレシピは極秘に保管されていました。

1905年 サンクトペテルブルクのオブホフ工場に光学部門を設立、
     輸入した光学部品を使い砲兵用照準器などを製造
1914年 第一次世界大戦勃発、光学ガラスが入手困難に
     帝国磁器工場でカチャロフが光学ガラス製造の実験開始

  ~ カチャロフがイギリスのチャンス・ブラザーズから
   技術文書、データ、図面、指示書を購入 ~

1916年 帝国磁器工場で最初の光学ガラスの溶解、しかし低品質
1917年 ロシア革命
  ~ 工場のガラス生産が混乱、優秀な人材が流出 ~

1918年 国立光学研究所(GOI)を設立
1920年 文献や研究機器の購入のために上級科学者を海外派遣
1922年 ソビエト連邦の成立 
1924年 レニングラード光学ガラス工場 (LenZOS)で光学ガラスの生産再開
1925年 気泡の問題が発生、依然として品質は不安定
1926年 アメリカのモーリーの方法論をもとに研究、高品質な光学ガラスが完成
1927年 光学ガラスの大量輸入を停止


※サンクトペテルブルク=ペトログラード=レニングラード
※ニコライ・ニコラエヴィチ・カチャロフ(Николай Николаевич Качалов): 
化学技術者/光学ガラスの専門家であり、ロシアの光学ガラスの実用化に尽力した人物。


【参考文献】
ПКП СПЕКТР - ИЗДЕЛИЯ ИЗ КВАРЦЕВОГО СТЕКЛА
История производства оптического стекла в России
https://pkp-spectr.ru/page/istoriya-proizvodstva-opticheskogo-stekla-v-rossii

WWW.ISTMIRA.COM
История русской оптики XIX-XX вв.
https://www.istmira.com/drugoe-istoriya-rossii/7943-istoriya-russkoy-optiki-xix-xx-vv.html

ResearchGate
The Great War, the Russian Civil War, and the Invention of Big Science
https://www.researchgate.net/publication/11004684_The_Great_War_the_Russian_Civil_War_and_the_Invention_of_Big_Science

Независимая газета
От лупы до высокоточного оружия
https://nvo.ng.ru/history/2003-11-21/5_lupa.html

自分の理解している範囲でこの流れを解説すると、まず、19世紀ロシアの光学産業は小規模であり、それはおもに輸入された光学ガラスを用いた外国人の工場によるものでした。日露戦争を機に軍用光学機器の重要性を認識したロシアは1905年、首都サンクトペテルブルクのオブホフ工場に光学部門を設立しました。オブホフ工場はその後、砲兵用照準器や双眼鏡、ステレオ望遠鏡など、さまざまな軍用光学機器を製造、修理する拠点となります。

第一次世界大戦がはじまるとロシアはドイツから光学ガラスを入手できなくなり、自国生産の確立が急務となりました。連合関係にあったイギリスやフランスも協力的ではありませんでした。そこで、政府はペトログラードにある帝国磁器工場のガラス部門に協力を要請し、その上級技師だったニコライ・ニコラエヴィチ・カチャロフが光学ガラスの溶解に挑みます。2年の研究ののち、イギリス式で生成された光学ガラスは少量でしかもそのほとんどの質が低く、改善すべき問題は山積みでした。おりしもロシア革命がおこり、社会が混迷をきわめるなかで帝国磁器工場の光学部門は継続が困難となり、やがて閉鎖されます。

そんな状況を憂いたのか、光学の復興を志したアカデミーの提唱によって、新たに設立されたのが国立光学研究所(GOI)です。科学者と技術者を分けへだてない先進的な発想で組織は整備され、国外から買い付けた大量の文献や設備はGOIを優れた研究機関に育てあげました。カチャロフも招聘され、レニングラード光学ガラス工場 (LenZOS)で光学ガラスの製造も再開されましたが、その試行錯誤の過程で突き当たったのが気泡の問題です。溶解時に発生する気泡の排除はガラス製造にまつわる根本的な課題ですが、当時のLenZOSはより特性の良い高難度の光学ガラスに挑んでいたのかもしれません。

この問題はアメリカの物理学者モーリー(G.W.Morey?)の研究をもとに克服され、ソビエト連邦と体制を変えたロシアはとうとう光学ガラスの自国生産を達成しました。しかし、まだまだコストは大きく戦時を想定した生産量には程遠かったので、ここからさらに工場の増強がおこなわれ、やがて世界は第二次世界大戦へと突入していくのです……。



*****

【HELIOS-44の初期型と通常型、Biotar 58mm F2の戦後初期型と戦後中期型の違い】

色調  H44(通常型)はニュートラルよりやや青い、その他は黄色い
明るさ  B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)>H44(初期型)>H44(通常型)
コントラスト B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)>H44(初期型)>H44(通常型)

解像力  H44(初期型)とH44(通常型)に偏心があるのでなんともいえず
ボケ  H44(通常型)>H44(初期型)≒B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)
歪曲補正  H44(通常型)>H44(初期型)≒B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)
周辺光量  B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)>H44(初期型)>H44(通常型)

逆光性能  B(戦後中期型)>H44(通常型)>B(戦後初期型)>H44(初期型)
画角の正確さ B(戦後初期型)≒B(戦後中期型)>H44(初期型)>H44(通常型)
絞り羽根  H44(初期型)は13枚 H44(通常型)は8枚、B(戦後初期型)は17枚 B(戦後中期型)は12/10枚
最短撮影距離  B(戦後初期型)は90cm、その他は50cm

※見やすさを優先し、HELIOS-44をH44、Biotar 58mm F2をBと省略


最後に念を押しますが、今回使用したHELIOS-44は便宜上、通常型としましたが、8枚絞りのモデルには普通にパープルコーティングもあるようなので、この特徴は単純に自分が手にした一時期の仕様に過ぎない可能性があります。

また、過去の記事もふくめて、合計3本のHELIOS-44シリーズを見たことになりますが、そのすべてで左右の均等画質が得られなかったことを告白しておきます。このあたりは当時の主力レンズだったBiotarを大衆レンズに格下げした巨大な社会主義国家の都合があらわれているのかもしれません。(※あくまで等倍レベルの違和感なので、一般の方は気にする必要はありません)

旧ソ連の光学ガラスはどうだったのか?という問いに対しては、Biotarとほぼ同一設計ながら色味やコントラスト、コーティング性能に違いがでており、これらは収差補正ではなく硝材の特性が関与する部分と考えると、たしかに違いはあったといえそうです。(※反射防止コーティングは成膜材料のほかに硝材の屈折率も重要)

しかし、HELIOS-44シリーズは長い製造年月、複数の鏡胴、複数の工場と種類がありすぎて、その描写を網羅するのは半端な努力ではできません。

はっきりいって、沼!!