Tessarの記事で予告しましたが、本格的に戦前戦後シリーズのはじまりです!!

そもそもこれを思いついたのは、Planar 50mm F1.4を中心にオールドレンズの描写を調べていくなかで、単純にその範囲がノンコート時代にまで拡大したから……ではなくて、以前、BiotarとHELIOS-44をテーマとした際に、おもしろい画像を目にしたからです。

それは、1939年に流通していたKine Exaktaの価格表。これにはPrimoplan 58mm F1.9とXenon 50mm F2、Biotar 58mm F2が名を連ねており、当時のライバル関係がわかります。

Casual Photophile
Carl Zeiss Jena Biotar 58mm f/2 – Lens Review

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Kine Exakta現代の35mm一眼レフの祖先でイハゲー(Ihagee)というカメラメーカー製、そこにマイヤー(Meyer-Optik Görlitz)、シュナイダー(Schneider-Kreuznach)、ツァイス(Carl Zeiss Jena)というドイツの名門が似たような標準域で肩を並べている状況はなんとも興味深い!

特に注目すべきはそのスペックで、Primoplanは開放F2を突破した58mm F1.9、Xenonは画角の広い50mm F2と、両者には明確なアドバンテージがあるはずなのに、それらよりも一見、凡庸なスペックであるBiotar 58mm F2が一番高い値付けなのはなぜなのか? この謎を解き明かすために、 いつもの厳密比較で三者の写りの違いを把握し、
第二次世界大戦前の写真界を取り巻く空気にふれることで、Planar 50mm F1.4再考」というオールドレンズ研究にいったんの終着点を与えることが今回の目的です。


しか―――し! 反射防止コーティングがなかった時代のレンズはまさしく幾多の歴史をものりこえてきた80~90年前の骨董品、ガラスの状態が良いものを入手するのが実に難しい!!(※シングルコーティングがあれば無視できる程度の拭き傷で、コントラスト低下が起こってしまう)

したがって、先に挙げたテーマであるExaktaの3種のレンズは戦後のシングルコート時代のもので妥協し、そのあとで、ノンコート時代のレンズを追加で見ていくことにします。


これは自分で入手した戦後の価格表で、先に引用した戦前のものと同じくアメリカ向けとなります。Exakta VXは1950年代のカメラ、この頃にはXenon 50mm F2が新型の50mm F1.9へと置き換わっているようです。“Exakta VX with waist-level viewfinder and”とあるので、この価格は共通仕様のカメラに交換レンズを合わせたものであり、素直に読めばこの価格差がレンズのグレードの違いとなります。

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しかしこれ、焦点距離やF値がばらばらに並んでいるので惑わされますが、下から価格が高い順なのに気づいたでしょうか? つまり、アンジェニューの50mm F1.5(S21)が一番高価なのはもっとも良いスペックなので納得、そのつぎにシュナイダーのXenon 50mm F1.9が続くのもあの性能なら大納得、そして3番手にくるのは、なんとマイヤーのPrimoplan 75mm F1.9を押しのけてツァイスのBiotar 58mm F2なのです。おい! なんでコストのかかる中望遠よりも、やや長めの標準レンズのほうが高いんじゃ!?と。

さらに、この表をよ~く見ると、安い方に位置するPrimoplan 58mm F1.9とTessar 50mm F2.8は10ドルしか違いません。米国内で換算すると、当時の10ドルは現在のおよそ100ドルに相当するようですが、2000~3000ドルの買い物ということを考えるとそんなに気になる差額とも思えません。

Primoplanよ……あんたもしかして、商品としてはTessarと同クラスかい……?

これが戦後東ドイツの計画経済の影響で、マイヤーがツァイスと横並びになるのが許されなかった事情というならよくわかるのですが、先の引用画像にもあるとおり、Primoplanは戦前の時点ですでにBiotarより85ドルも安く、その立場はまったく変わっていないのです。

マイヤーは安物……そんな禁句が口にでてしまいますが、とりあえず、この価格表を頭に入れながら、いつもの厳密比較をはじめてみましょう。


【比較に使用した個体】
Primoplan 58mm F1.9(4群5枚、変形エルノスター、1950年代前半の戦後後期型)
Biotar 58mm F2(4群6枚、ダブルガウス、1950年代前半の戦後中期型)


最初の画像がPrimoplan 58mm F1.9、後の画像がBiotar 58mm F2ですべて共通。

注記なければ絞り開放 絞り優先AEで設定固定、WBは5200kから大雑把に調整
Photoshop Camera RAWの現像設定はα7でEOSのスタンダードを模したプロファイル


Primoplanのキーワードはとにかく低画質。解像力もコントラストも低く、その程度は鑑賞サイズでわかるほど。カラーバランスはニュートラル寄りです。
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Primoplanのキーワードその2はボケ味。他のレンズではお目にかかれない不思議なボケ方をします。
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Biotarももともと味わいのあるレンズなので、こちらも十分魅力的。
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反射防止性能が低く、絞りの全域で軟調です。
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ごちゃごちゃした背景ではBiotarを凌ぐ荒れたボケ。
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しかし、周辺が二線ボケするBiotarのほうがグルグルボケの存在感があります。
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絞りF8
逆光なので、これだけ絞ってもふわっと。
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強い輪郭線が丸ボケの片側のみ残り、半分だけ消えてなくなるような描写です。
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絞りF2.8
人工物では1段絞るくらいがちょうどよく見えます。
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絞りF5.6直線の再現は優秀。1960年代以降の高画質レンズもこれより劣ります。
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Biotarの歪曲は実は糸巻きではないかと思います。
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絞りF2.8
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絞りF8
絞ればほぼ同等に見えますが、すこし拡大すれば周辺画質の低さがバレます。画角はわずかにPrimoplanのほうが広いようです。
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絞りF8
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絞りF2.8
派手な現像をしない場合には、Primoplanは1段絞るくらいがしっくりきます。
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Primoplanに絞りを合わせていますが、Biotarはむしろ開放でいいかも。
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Biotarとのコントラストの違いがよくわかります。色収差も少々。
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太陽の直射光がじかにレンズに入るとヘナヘナに。
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Biotarが特段、逆光に強いわけではありません。
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ピントは中央付近のテトラポッド、あえて開放を選びました。前側に放射ボケが出ています。これは背景のグルグルボケが大きいことの裏返し。
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絞りF4
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近接時の写りはPrimoplanの魅力のひとつ。
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反射防止性能が低いので、逆光描写は繊細。例えるなら、完全逆光でねばらないアクロマチックコーティング、みたいな。
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Trioplanと同じく、硬い光で特徴的なボケが得られます。
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Primoplan 58mm F1.9はとんでもなく低画質だった、もとい、とっても味わい深いレンズでした。

なにが凄いってこのレンズ、本当にピントが悪くて、ミラーレスのピント拡大でまともなピントが拾えるのは中央だけで、周辺に至ってはF2.8まで絞ってようやくBiotarのF2と同等になるという体たらく。おまけにコントラストまで低いものだから、建物が写りこむスナップ撮影では開放F1.9では締まりがなさすぎて、1段以上絞るのが基本と言っていいくらいです。それでは開放描写が生きないからと草木を狙うと、今度はBiotarと同等以上のグルグルボケが発生するのです。おまけに逆光にも弱い。

はっきり言ってしまうと、昔の低性能レンズといったらあんな感じ、というような画質の悪さを体感できるのがPrimoplanであり、さすがにこれでは“駄メイヤー”と揶揄されてもしかたがないと素直に思ったくらいです。ただ単に、写りの良さだけを論じるのなら。


これだけの低画質ながらPrimoplanに独特の雰囲気があるのは、まず第一に歪曲がとても少なく、写真全体をきちんとした絵に見せる素地があるからです。周辺画質がとても悪いのに、なぜ直線がまっすぐなのか――すなわち、他にも重要な収差補正があるのに、なぜ歪曲収差だけが優先的に補正されているのかというと、それはこの頃の標準レンズの設計で歪曲収差がかなり嫌われていたフシがあるからです。

これはそういった言説を確認したわけではなく、さまざまな時代のレンズをながめていると見えてくる設計バランスの変化なのですが、1950年代くらいまでの標準レンズにはBiotar 58mm F2を筆頭に、画質があまり良くないのに歪曲は0%に近い極端なレンズが少なくありません。おそらく、Primoplanもそういった当時の空気を踏襲していて、絞っても改善されず画像に直接あらわれる被写体の歪みはできるかぎり排除すべしという考えなのでしょう。

つぎにPrimoplanの画質を印象づけているのは、ボケ味の特殊さです。これは開放で撮影してみればすぐ実感できることですが、Primoplanは一般的な標準レンズよりも画面端のボケ量があきらかに大きく、二線ボケやグルグルが思ったほどには主張してきません。特に二線ボケに関しては他のレンズでは見られない特徴を有しており、画面中央で確認できるボケの輪郭線は隅へ向かってやわらかく消失していくのです。

その結果、強いグルグルの印象が弱まり、全体的におっとりとしたボケ感が生まれています。しかも、その丸ボケは偏った濃淡とともに露骨なまでにイビツになっており、決して他のレンズでは真似できないエフェクトをもたらすのです。


以上の2点により、画面の中央以外ではろくに解像せず強いグルグルも発生、絞るにしても他のレンズより余計に絞らなければならない低画質でありながら、Primoplanは独自の味わいを醸しだす絶妙なバランスを保っているのです。比較対象のBiotar自体がまさに古めかしいコントラストの鈍さと光のにじみによってノスタルジックな芸術性を醸しだすレンズなのですが、Primoplanはそこからさらに優雅でありながらも独特のボケ感をもつ唯一無二のレンズといえます。

おそらくはPrimoplanが魅力を発揮するのはまず近接時の草花描写、そこから距離の離れたスナップ撮影では光に敏感な軟調描写を生かしつつも、若干絞って画面に締まりを与えるか、あるいは解像感は完全に捨てて雰囲気描写に振りきるか、といった使い方となるはずです。どちらにしてもかなりの低画質なので、近接時に絵画的な描写を狙う以外では開放F1.9に固執せず、絞り込みによる画質変化を柔軟に使いわけることが重要となるでしょう。大丈夫、1段や2段絞ったくらいでは、Primoplanの低画質はなくなりませんから(笑)。



では、ここでPrimoplanの最大の特徴であるボケ描写について考察してみたいと思います。

【画面の右半分】
左: Primoplan 58mm F1.9  右: Biotar 58mm F2
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両者の丸ボケには、一目でわかるほどの歴然とした違いがあります。より素直といえるのはBiotarのほうで、中央の丸ボケが画面の端へいくにしたがって小さく硬くなり、レモン形状に歪むのが一般的な標準レンズの描写となります。これが性能の改善とともにだんだんと画面全域でやわらかな丸に近づいていくのが現代へと続く流れであり、皆さんが所有するレンズのイメージと合致するはずです。ところが、Primoplanはこの法則に反し、あきらかにおかしいのです。

Primoplanの丸ボケは画面の中間あたりから片側半分が露骨に明るさを失いはじめ、それが画面の隅に至ると淡い半月状となって周囲に溶け入るのです。まるで、後ボケが不自然に切られているようなこの描写はなんなのか? その理由を探るために点像がボケへと変化していく様子を観察してみました。


【画面左端の後ボケへの変化】
Primoplan 58mm F1.9 - Biotar 58mm F2 - NOKTON 58mm F1.4(コシナ)
(※Primoplanのボケの内側がぼそぼそしているのは、バルサムかなにかの劣化の写りこみです)
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これを見るかぎり、Primoplanの半月状の後ボケは矢印状に偏った光線の集合体が非点収差に引っぱられながら変形したものであることがわかり、これが画面の隅へいくほどに口径食の影響を受けてよりイビツになっていくのでしょう。この上段のいくつかは以下のWEBサイトで解説される外向性コマ収差の形状に似ており、Primoplanの特徴的な後ボケはコマ収差と非点収差を主成分とした強い光線の偏りによって偶発的に形成されたものと見るのが妥当ではないでしょうか。

また、この後ボケは開放から1段絞り込むだけできれいな楕円になるので、設計者はすべてを織りこみ済みで、可能なかぎり実用レンズとして不足のないようにPrimoplanを仕上げたのだと思います。

株式会社レンズ設計支援
「レンズ設計光学講座」
・コマ収差(CM) coma aberration

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こちらは前ボケ側の画像ですが、やわらかく拡散している前ボケにも二線ボケ成分が残っているのがPrimoplanの特殊なところです。同時代のBiotarは意外にも非点収差以外は整ったボケ像で、収差補正の筋の良さがうかがえます。

【画面左端の前ボケへの変化】
Primoplan 58mm F1.9 - Biotar 58mm F2 - NOKTON 58mm F1.4(コシナ)
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しかし、周辺画質の低いレンズは別段珍しくもないのに、なぜPrimoplanはこれほどまでに個性的なボケになるのでしょうか? その答えは50mm近辺では希少種といえるエルノスタータイプにあると考えられます。

エルノスタータイプはトリプレットの1枚目と2枚目の間に凸メニスカスを足した4群4枚が基本となり、さらにそこから前群の貼り合わせを増やすことで、1920年代に開放F2以上の大口径化を果たしたレンズ構成です。発明したのはルートヴィッヒ・ベルテレで、彼はこのあとエルノスターを発展させたゾナーで時代の先端をいくことになります。(※このあたりの流れが分からない方は、Tessar 50mm F2.8の記事へ

【エルノスタータイプの基本形】
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参考文献:
写真工業 2004年2月号
「特集 レンズタイプで描写が変わる」
常世田義文 著 写真工業出版社

「レンズデザインガイド」
高野栄一 著 写真工業出版社

エルノスタータイプで特筆すべきは、その屈折力配置が望遠レンズ向きのテレフォトタイプとなることで、レンズの全長が通常より短くなり、プラスの歪曲収差(糸巻歪曲)が発生することが特徴となります。さらに、トリプレットの対称性を崩したこの形式にテッサーやダブルガウスほどの汎用性はないらしく、明るさは達成できるが広い画角には適さず、中望遠や望遠レンズでないと周辺画質を維持できないとのことです。光学設計の基礎を網羅した「レンズデザインガイド」では、“エルノスターはなるほど大口径にはできるが、非対称性が強く典型的なコマがでるので標準レンズの50mmにはできない”(ゆえにゾナーが開発された)とはっきりと述べています。

この解説はまさしく先に掲載した点像の露骨な偏りによって証明されており、Primoplanの個性的なボケの秘密は硝材の不自由な戦前の時代に、標準レンズで開放F2を突破する手段としてエルノスタータイプを用いた設計の無理にあるといえるのでしょう。しかも、Primoplanはコストをも意識した4群5枚構成、テッサーよりもレンズ枚数を1枚増やして明るさをかせぎ、ダブルガウスよりもレンズ枚数を1枚減らして価格で勝るようにする。当然ながら、犠牲になるのは開放画質です。



……以上が、Primoplan 58mm F1.9の描写に対する自分の見立てですが、現地ドイツの情報をもとにしたWEBサイトによると、マイヤーがこのようなレンズを作った背景には複雑な事情があるようです。ドイツ語に精通している方はぜひ、原文をご覧ください。

zeissikonveb.de
「Das Primoplan」

【機械翻訳をもとにした意訳】
戦間期は写真の画期的な進歩の時代であり、1920年代後半は35mm写真の始まりでした。1930年代後半、レンジファインダーカメラと一眼レフの原型を代表するContax IIとKine Exaktaが発売され、精密なピント合わせの仕組みによって35mmの可能性が十分に発揮されました。35mmの可能性とは、それまで考えられなかったレンズの高速化であり、当時の低感度フィルムで初めて光源を追加しない撮影を可能にしました。この進歩は、より小さなフォーマットによってレンズの焦点距離が大幅に短くなったことで実現されました。

この高速レンズの先駆者のひとつが、シレジアのゲルリッツにある光学研究所、Hugo MeyerのPrimoplanでした。1930年代半ばにパウル・ルドルフの後を継いだパウル・シァフターの課題は、当時としては先進的ではあったがあまりにも高価だったルドルフのPlasmatを、よりシンプルでF1.5までの明るさを実現できるものに置き換えることでした。そのため、彼が開発したPrimoplan(1936年)とOptimat(1937年)は、ルドルフのPlasmatとは異なりガウスタイプをもとにせず、トリプレットを拡張させたものでした。

このWEB記事に補足情報を足しながら要約すると、まず、35mmカメラが登場するまで写真は大きいガラス乾板やフィルムからの密着焼きが主流で(※6×4.5が小型カメラだったらしい)、撮影レンズもそのフォーマットに合わせて大きいものでした。となると、撮像範囲の広さに見合った大口径化はより難しくなり、浅い被写界深度によって撮影の難易度も上がってしまう、そこに現れたのが合理的なピント合わせ機構をもち、大口径化に有利な小さいフォーマットの35mmカメラだったのです。

そのすこし前に、プロターやプラナー、テッサーなど歴史的に重要なレンズを発明したツァイスのルドルフは第一次世界大戦の混乱期を経て、マイヤーに在籍していました。彼はそこで対称型を発展させたPlasmatという高級レンズシリーズを完成させていましたが、マイヤーとしてはもっと安価なレンズを一眼レフカメラの標準レンズにしたい、そこで新たに用意されたのが拡張トリプレットタイプであるPrimoplanです。しかし、最初の仕様は50mm F1.9、これでは後玉が突き出てしまうため取り扱いに難があり、量産品では焦点距離を58mmに延ばさざるをえなかったという経緯があるようです。

Wikipedia
Plasmat lens

おもしろいのはここからで、イハゲーはマイヤーと密接な関係をもっていたとおぼしく、Kine Exaktaの最初のパンフレットに登場したのはPrimoplanであり、より安価なテッサータイプであるPrimotar 54mm F3.5はExaktarとしてイハゲーにもOEM供給されることになります。かつての設計主任だったルドルフが開発した高品質なPlasmatにツァイスの心中はおだやかならず、独創的な3群構成で明るさF1.5を達成したベルテレのSonnarに匹敵するものはありませんでしたがバックフォーカスの短さからこれを一眼レフに転用することはできません。ここで完全にツァイスはマイヤーを自社の競合相手と敵視したと。

かくして、ツァイスは早急にBiotar 58mm F2の量産化の準備を整えましたが、蓋を開けてみればPrimoplanはBiotarに対してあきらかに格下の画質であり、ツァイスの面目は保たれたということです。しかし、このExakta初期の各社の思惑に言及する文の最後は、“パウル・シァフターのPrimoplan 58mm F1.9には、一見してこのレンズからは想像もつかないような歴史的な爆発力が内在しているのである”と、とても印象的に締めくくられています。

【拡張トリプレットタイプ】
 レンズタイプの言い換えで、より正確にレンズ構成を示したい場合に拡張、変形などの言葉を用いて設計の意図を明確にする。多種多様なレンズ構成をいちいち区別していったらキリがないので、こういった言葉が使われるのだと思われる。

しかし、エルノスターはもともとトリプレットの拡張型でもあるし、エルノスター自体も変形されて使われることが多いので……と、このあたりの話はいろいろややこしくなるので、レンズタイプの説明はその都度、書き手の意図を汲みとって鷹揚に。


*****

Primoplanの詳細画質をBiotarと比較しながらまとめます。

解像力は中央以外はぐずぐず、絞りこんでも周辺画質の低さははっきりと残り、無限遠パンフォーカスならF11以上が必要です。反射防止性能は低く常に軟調、したがって、解像力もコントラストもあきらかにBiotarが上です。カラーバランスは硝材選択が根本的に違うのかBiotarのような黄色味はなくニュートラル寄り、歪曲はどちらも優秀、周辺減光と色収差はそこそこ目につきBiotarよりも劣ります。ボケはPrimoplanのほうがやわらかく拡散しますが、中央が二線ボケしており強いグルグルも出るので性能的観点で評価したらどっちもどっちです。

全体を見渡すとPrimoplanにも良いところはあるのですが、拡大せずともわかる低画質はいいわけのしようがなく、下手をしたらコントラストが優れるぶんだけTessarのほうが上ではないかと思えるほどです。したがって、冒頭に挙げたExaktaの価格表は実に正しく、PrimoplanとBiotarの露骨な価格差は圧倒的なブランド力の差によるものではないことが確定しました。(そして、Biotar 58mm F2がマイナーチェンジを繰り返しながら売れ続け、その設計がHELIOS-44として生きながらえた事実にも納得です)

レンズ探求 #26 時空を超えるレンズ BiotarとMC HELIOS-44M

しかし、これだけはっきりとした性能差があったとしても、絞りこめば両者は鑑賞サイズで見分けがつかないほどにはなるので、Primoplanの現役時代には十分に使えるレンズであったことは間違いないのでしょう。その意味では、価格を抑えた標準レンズでF1.9という夢を与えるマイヤーの狙いはきちんと消費者に受け入れられ、それゆえPrimoplanは現在でも希少品とはならず、それなりの数が中古市場に出回っているのだと思います。(上記の引用記事ではモデル末期に投げ売りされたともありますが……)



【Primoplan 58mm F1.9(戦後型)とBiotar 58mm F2(戦後型)の違い】

色調  Primoplanはニュートラル寄り、Biotarは黄色い
コントラスト Biotar>Primoplan

解像力  Biotar>Primoplan
ボケ  Primoplan>Biotar
歪曲補正  Biotar>Primoplan
周辺光量  Biotar>Primoplan

逆光性能  Biotar>Primoplan
画角の正確さ  Primoplan>Biotar
絞り羽根  Primoplanは14枚 Biotarは12枚(※)
最短撮影距離  Primoplanは75cm(※) Biotarは50cm(※)

※製造時期によって仕様が変わるので注意。


正直言って、今回はあまりにも画質の違いがわかりやすく、厳密比較の意味がないと思ったくらいです。それほどまでにPrimoplanの個性が強い理由は、標準域ではほとんど使われることのないレンズ構成を用いて、安価な大口径レンズに仕立てあげた偶然の産物でしょう。しかしながら、画質や操作性の根本的な部分に手を抜かなかったPrimoplanに低画質レンズ特有の扱いづらさはなく、不思議とバランスのとれたその写りはデジタル時代のつややかな階調再現と合わさることで、他に代えがたい独自の魅力を放つのです。

時にはかなげな記憶の景色をつくりだし、時に芸術家のひらめきが舞う優雅な背景描写を―――。

Primoplanの現在の中古価格はそこそこ高価ですが、その理由にはBiotarよりも売れなかった流通量の少なさだけでなく、その写りの希少性が評価されているのだと信じたいです。

そんなこんなで、この作例にも至らない比較写真でインスピレーションを感じたのなら、それはもう確実に入手すべきレンズとして太鼓判を押します!!

Meyer Optik Görlitz
※かつてのマイヤーから商標権を取得して作成されたWEBサイト

Primoplan 58mm F1.9は現在、復刻版が販売されています。これはもともとバブルボケで有名なTrioplanの人気を受けて成立した企画で、光学設計はオリジナルを再現しつつ鏡胴は新しいデザインとなっています。(I型からII型へ変わり、外観がより無難な形状へと統一されました)

復刻版Primoplanの写りは新しい硝材や反射防止コーティングのおかげで発色とコントラストが上がっており、オリジナルがもつ個性的なボケや光のにじみの印象度が強まっているように感じます。多少、改良があるようで、四隅のボケのスムーズさが増しているような気もしますが。

この製品で注意すべきところは、製造は中国なので(最終組み立てはドイツに移行した?)10万円を超える価格どおりの質感は期待できないことです。新品のPrimoplanが手に入るという特別さがすべての価値だと考えましょう。また、販売元は新規に立ち上げた会社であり、その業態はファブレスです。

Wikipedia - ファブレス(fabless)とは、その名の通りfab(fabrication facility、つまり「工場」)を持たない会社のこと。工場を所有せずに製造業としての活動を行う企業を指す造語およびビジネスモデルである。

これは復刻版のII型、M42マウント。