ボケ味が良いはずの標準レンズ、それはヤシカ ML50mm F1.9cです。なぜ、そう思うのか? その理由はたったひとつ、このレンズが球面収差の補正不足型だからです。それもありがちな、完全補正型から少しだけ補正量が足りない形ではありません。当時の国産レンズとしてはかなり珍しいタイプとなります。

50mmレンズでは中央の完全補正と右の過剰補正が一般的な形となります。完全補正で有名なのはCONTAX Planar 50mm F1.4で絞り開放のコントラストと解像力のバランスがよく、国産レンズで多く見られた過剰補正型は解像力が高い代わりに絞り開放でハロを発生させ、にじんだような低コントラストになります。それらに対して補正不足型は、コントラストは高いがぽやっと写るとの話。

球面収差の簡易縦収差図
※もちろん、このカーブは設計次第で様々なバリエーションを見せます。

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で、実際にML50mm F1.9cの収差図がどんな形になるのかというと……


これ。かなり特徴的で、一般的な標準レンズの補正形式で見られる丸いカーブがありません。最近、分かってきたのですが、この縦収差図は丸ボケの輝度分布を示唆しています。となると、球面収差曲線の上端がきゅっと曲げられていないML50mm F1.9cは、輪郭線のない理想的な丸ボケを実現しているのではなかろうか?

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この縦収差図のカーブは丸ボケの輝度分布につながっているようで、過剰補正型の輪郭線がきついのはこのカーブが大きく急なため、完全補正型に若干の輪郭線が残るのもやはりこのカーブが原因です。それに対して、ML50mm F1.9cは丸みを帯びたカーブそのものがなく、まるでボケの良い望遠レンズやマクロレンズのようです。

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ここで、ベテランのレンズマニアの方の頭にはひとつの疑問が浮かぶかもしれません。ヤシカのML50mm F1.9cって、なんの変哲もないボケ味だけど? 

その答えはこの記事を書くきっかけとなったアサヒカメラにあるのかもしれません。近代の50mmレンズを網羅するその特集によると、ML50mm F1.9cは途中で設計変更が行われており、前期型はオーソドックスな完全補正型、後期型が補正不足型となるようです。アサヒカメラの収差測定では測定に用いた個体のシリアルナンバーが記録されているので、その番号付近の個体を狙えば、同じ描写が手に入るはず。


というわけで、入手してみた後期型が本当に補正不足型か、焦点内外像で確認してみます。

過剰補正型
左: 焦点外像=後ボケ  右: 焦点内像=前ボケ
6385

完全補正型
9826

ML50mm F1.9c
6387


これ、収差図が先にあるからこそ言えるんですが、たしかに補正不足っぽいです。なぜかというと、右の前ボケに縦収差図の雰囲気が出ているのですが、過剰補正型と完全補正型の円の中間部分が明るくなっているのは球面収差の膨らみであり、それが端で再び戻っていくから外側が暗くなっているのです。その傾向とは真逆を示しているのがML50mm F1.9cで、中間部分が暗いまま端の方が明るくなっている前ボケの様子はそのまま曲がりっぱなしになる収差曲線と符合します。

左の後ボケはいまひとつ違いが分かりませんが、とりあえず前段階として、完全補正型とは違う後期型の個体であるらしいことは確認できました。



次は実写です。

が、ここでひとつだけ注意。ML50mm F1.9cはマルチコート時代のF1.9~F2クラスということで、これと比較できる完全補正型のレンズが手元にありませんでした。しかたなく、Planar 50mmF1.7 MMJを使ったわけですが、さすがにF1.9とF1.7の比較では口径の違いからボケ量に差が出てしまい、特に画面周辺部ではその差が顕著です。この比較は、まず大前提としてF値の違いがあることを忘れないようお願い致します。


ML50mm F1.9c(F1.9)
10736


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10737


ML50mm F1.9c(F1.9)
10742


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10743


ML50mm F1.9c(F1.9)
10752


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10753


ML50mm F1.9c(F1.9)
10754


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10755


ML50mm F1.9c(F1.9)
10738


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10739


ML50mm F1.9c(F1.9)
10740


Planar 50mm F1.7 MMJ(F1.7)
10741


た、たいして変わらん……。


とりあえず、F1.9とF1.7のボケ量の差を抜きにしても、ML50mm F1.9cの丸ボケに期待したほどの良さはありませんでした。たしかに、画面中央付近のボケは輪郭線がさほど立たず、Planar 50mm F1.7との違いを見せているのですが、強い光では色収差が丸ボケの輪郭を強めてしまっていますし、なにより周辺のボケが妙に硬い。

いえ、オールドレンズ的にはこれでもよいのですが、今回期待したのはボケの優秀さなので、ぱっと見の綺麗さがなければ評価を落とさざるを得ません。ML50mm F1.9cのボケの結論としては、いちおう球面収差の補正不足型の良さは出ていますが、コストダウンによって行き届かない画面周辺部の収差補正の甘さ=性能の悪さが全体の印象を悪くしていて、結果、癖の強い背景描写となっています。


【ML50mm F1.9cの丸ボケについて】
  • 画面中央はきれいだが、色収差の輪郭は強い
  • 画面周辺のボケ量が小さい
  • 画面周辺でいびつに変形
  • 画面周辺で二線ボケが強まる
  • 以上によって、グルグル、ざわざわ感がある

画面中央
左: ML50mm F1.9c  右: Planar 50mm F1.7 MMJ
10744 10745

画面左端
10746 10747

画面中央
10748 10749

画面左端
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このように、ML50mm F1.9cは中央のボケのやわらかさが周辺まで維持できず、ボケ描写がPlanar 50mm F1.7と逆転してしまっています。したがって、ボケの良さとは単なるやわらかみ(二線ボケの度合い)だけでなく、画面の端まで描写の変化が少ない均一性が大事であるということがこの比較からよく分かります。

ML50mm F1.9cの周辺のボケを荒らしているのは(たぶん)、口径蝕、非点収差、コマ収差とさらに被写界深度を後ろ側に深くしている像面湾曲だと思うので、結局のところ、ML50mm F1.9cはボケの良さが期待できる球面収差の補正不足型ながら他の収差補正がいまひとつなので、画面全体のボケ味が悪くなってしまっているということです。

これはS-Planar 100mm F4が開放F4という暗さながら、アオリに対応する余裕のある設計によって、画面周辺部までゆったりとボケていく感覚に逆説として通じる話であり、さらに言うなら、最近の高画質レンズが画面の隅々まで収差補正を行き届かせつつも周辺光量を犠牲にしていることで、どこか苦しい丸ボケの印象を生んでしまっている現状とも似ています。



せっかくの補正不足型を無駄にしてしまっているこのML50mm F1.9cは、ただの低コスト/低画質レンズなのでしょうか? 実際に、このレンズは後期型でプラマウントにされ、MLレンズのなかでは最廉価の50mmだったようです。しかし、そのような扱いだったML50mm F1.9cも正しく画質を見渡してみると、実は面白い事実が浮かび上がります。

ML50mm F1.9c(-0.8%の樽型)
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Planar 50mm F1.4 AEJ(-2.0%の樽型)
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ML50mm F1.9c
10759

Planar 50mm F1.4 AEJ
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チャートの左半分: ML50mm F1.9c
チャートの右半分: Planar 50mm F1.4 AEJ
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歪曲は一眼レフ用50mmとしてはかなり良い数値で、ただの廉価レンズにはもったいない性能です。しかし、その一方でカラーチャートでは青味のほかに部分的に癖のある発色も見せ、明らかにレンズの色再現で手抜きをしていることが分かります。このPlanar 50mm F1.4との差異、青い円で示した山吹色以外にも複数のズレがあり、カラーチャートを撮り始めてからこんなに違いがあったレンズは初めてです。(※どんなレンズでも目立つ差は全体の色の偏り、コントラストであり、一部の色が突出して違うなどはほとんどない)

このような事実を踏まえた上でML50mm F1.9cを解釈すると、このレンズはML末期に可能な限りのコストダウンを命じられた結果、できるだけ撮影者に悪い印象を与えないよう歪曲補正に注力しながら、最も手軽にコントラストを上げられる手段として球面収差の補正不足型を選び、後は価格相応としてバランスを取っただけなのかもしれません。そこには絞り開放のボケ味などという観点はなく、だからこそ、画面中央と周辺のボケの落差を容認したのかもしれません。それもまた、設計者の工夫であり、手腕なのかなと。